ピンチはチャンス! 2020年11月20日
今までできなかったことに取り組みましょう。部屋の整理、不用品の片づけなど。しまい込んでいて、完全に忘れていた意外なものが見つかるかもしれません。
いつの時代でも・・・ 1869年作 1919年再掲載) 2020年6月11日投稿

人々は 家にこもり
書をひもとき 音に耳を傾け
休み
持てる力を働かせ 芸ごとに打ち込み
生きることの新たな意味を模索し
そして中断し
さらに深遠の声に聞き耳を立てた
ある者は沈思し、ある者は祈り ある者は自身の影と出会う
そのような多様な思考の末に いやしを受ける
無学、無謀、無益、無情な方法で生き延びた者は いなかった
そして人々は健康を取り戻して行く
危機が去った時
人々は自分自身と出会い 逝者をいたみ悲しむ
それから 新たな選択をし
新たな展望を想い
新たな生活様式を作って
いやされた時
世界は 完全に 回復される
マイモニデスの音楽観 2020年5月28日
メシアニックの先生方が信奉する(?)、マイモニデス(ミシュナ・トーラの著者)は音楽には懐疑的でした。
「ユダヤの音楽 13.音楽理論 (3)スコラ学派時代 (スコラ学派時代は西洋中世と理解してさしつかえないと思います。)
スペインを含む中世アラブ諸国のユダヤの理論家たちは、音楽を主に四学科(Quadrivium)のうちの一学科と考えていた。音楽を数学的諸学科と同類とするこのようなピュタゴラス学派の概念は、シリアの翻訳家を通じてアラブやヘブライの文学に入って行った。 この概念では、新プラトン派(ギリシャ哲学の最後を飾る学派。中世初期の神学に浸透した)の哲学の場合と同様、数学および倫理学的考察が重要な構成要素であった。・・・
ユ ダヤの哲学者マイモニデス(1135-1204)は、詩や音楽は空虚であるとして攻撃し、彼が神聖の冒涜とみなす歌の領域であるアラブのムーワッシャハmuwashahahをユダヤ人が採用することに異議を唱えた。・・・・
マイモニデスの門人たちは、彼の音楽に対する禁欲的な取り組み方には従わなかった。 ヨセフ・イブン・アクニン(13世紀に活躍)は音楽を高等教育の中に位置づけた。彼は音楽の霊的な力を強調し、「それは預言の源と考えてもよい」と述べた。彼と同世代のファラケラは、<探究者Hamebakkesh>のなかで音楽を含む教育体系の概要を述べているが、この著作中のあるくだりは(他のヘブライ語やアラビア語の論文と同様)ヨーロッパの哲学者たちに影響を与えた。14世紀にはアラブのスコラ哲学の衰退とともに、音楽に対する純粋に秘儀的な取り組みの土台ができていった。これはアシュケナーズ系ユダヤ人社会、中でもカバラひいてはハシディズムの思索者の心をとらえた。」 (ニューグローヴ音楽大事典 第十八巻p.580)
・カバラ・・・・ユダヤ教の神秘的な聖書解釈法。かくれた意味をこれによって解くことができると信ぜられたもので、中世後期およびルネサンス時代には教会にも影響を与えた。 ・ハシディズム ・・・ヘレニズム(ヨーロッパ)に反対し、厳格な宗教生活を送る一派。 (キリスト教大事典教文館、リーダースプラス研究社 より引用)
参考「ユダヤの音楽 Ⅱ 世俗音楽 1、ユダヤ民謡の性質
ユダヤ人の共同社会の中で民謡が育っていくに際して、ディアスポラ(ユダヤ人の離散)のいずれの地方でも条件が同じようによかったわけではない。非常に奇妙なことではあるが、発達の最も活発な中心地は、ユダヤ人が最低限の個人的自由しか享受できなかった環境の中に見出されるのである。 ユダヤ民謡の大半は宿命的にゲットーの歌であり、ユダヤ人は強制的に隔離社会で生活しなければならなかった場所で最も発達した。中世ヨーロッパや19世紀のユダヤ人解放時代に一時的に見られたように、ユダヤ人が比較的自由に生活したところではどこでも、独自な歌のタイプとしての民俗音楽は姿を消し、地域的調べにその座を譲り、その地域的調べはますます頻繁に取り入れられていった。しかし、ユダヤ人が共に定住し、ある種の祖国の文化を発展させることのできた場合には、目立つとは限らないが、特徴のある民俗イディオム、民俗言語、民俗詩が台頭してくるのが普通であった。ゲットーでの生活は多くの基本的人権を否定するのもので、奇妙な人種構成になっていくとともに、音楽にも影響を与え、ある特徴を過度に発達させる一方で、部分的に他を無視するようになった。その結果、動物の歌、戦争の歌、仕事の歌、酒宴の歌、狩猟の歌など、よく知られた民謡の種類の多くが欠けることになった。 ユダヤの民謡の大半は、①聖書の詩句に基づく哲学的、倫理的、秘儀的黙想を好む半宗教的・儀式的な歌と、②社会生活の実情やその問題を好んで扱い、内容は事件を理知的に、時には風刺的に分析したものから、日常生活を最もナイーブかつ率直に表現したものにまで及ぶ家庭的・生活的な歌という、2つの種類に限定される。 ゆえに、内容な叙情的で中世の洗練された詩に強く依存しているが、音楽的な面では多くの場合、朗唱という礼拝式文のパターンに拘束されたままの半宗教的な歌を含めて、厳密には民謡の枠に入れるべきでないものも多数ある。そしてどちらに分類される民謡も主に男性が歌っている。」 (ニューグローヴ音楽大事典 第十八巻 p.581)
ニーチェの指摘 2020年5月16日
「奴隷道徳とは Sklavenmoral Moral of slave ニーチェ(1844-1900)の造語。
主人道徳に対立する。キリスト教道徳は支配者に隷従するおとなしい小羊に人間を仕立てるものであり、しかも隷従の状態にすぐれた価値を認めようとするその詐欺的評価からするならば、キリスト教道徳は弱者の強者に対する怨恨に発した奴隷の道徳である。
近代の頽廃は、キリスト教につながるデモクラシーによって人間が精神の貴族性を失ったことにある。それゆえ①生の肯定と、②力への意志にもとづく「主人の道徳」によってのみ 人間の幸福と時代の救済は可能であると説く。 主人の道徳とは Herren-moral Moral of Masterニーチェの造語。奴隷道徳に対立する。ときには<貴族の道徳>とも呼ばれ、精神の貴族として超人を理想とする彼がキリスト教道徳を奴隷の道徳だと嫌悪してその代わりに人間の持つべき道徳としたのがこれである。 <力への意志>にみちびかれる強者・支配者の道徳で、ここにこそ生の充溢がみられ、本然の人間の姿があると主張される。<道徳系譜学><善悪の彼岸>で謳歌される人間の道徳は、自己は自己のみを主人とすることによって獲得されるという彼の思想の基調を明白に示すものである。」(キリスト教大事典 教文館より引用)
「力への意志」の増長 ニーチェは他者に優越して生きようとする権力志向で、その精神がナチスドイツに引き継がれましたが、この主張は本来のキリスト信仰とは相容れないものです。しかし「力のある他者への依存」「ねたみ」を持つ奴隷の道徳は、キリスト教界の一面を表現しています。 生の肯定とは、罪の意識と、キリストの内住性によらねば得ることはできません。近代の準備した資本主義が磊落しつつある現代において、最近ではパンデミック感染症によりそれが磊落した様相をかんがみて、おのおの自身が「邪悪な精神と悪を避け、乏しくても自力で立つ」生活を、改めて考えてみる必要があります。 「あなたがたはひとりひとり拾い上げられる。」(イザヤ62:17)
レビ記19章3節 2020年4月30日
「おのおの、自分の母と父を恐れなければならない。また、わたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(19:3) 三つの戒律:父母敬愛と安息日遵守と敬神は同じ意味で、その理由は、安息日の礼拝は、家庭内で子ども達といっしょに行うからです。(新聖書注解 第一巻 いのちのことば社 p.570)
聖書の読み方について 2020年4月16日
聖書には、「神の教えと戒めと命令」の部分があります。
①旧約聖書(ヘブル語聖書)の最初の五つの書。モーセ五書と呼ばれます。 ・・・(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)
②新約聖書(ギリシャ語聖書)の最初の四つの書。四福音書です。 ・・・(マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書)
前者は、モーセを通して、近東のシナイ山頂で与えられ、 後者は、イエス・キリストを通して、中東のガリラヤ、エルサレム地方で語られたものです。
それらを 毎週 安息日・・・・ 金曜日の日没後~土曜日の日没までの間
モーセ五書を 声に出して朗読 一回3-4章(モーセ五書全章計187章一年52週) つづいて四福音書を 声に出して朗読 一回1~2章 (四福音書全章計89章 一年52週)
一気に朗読するのに疲れたら、祈りや賛美をはさみ休憩します。量が多いように感じるかもしれませんが、一週間分の御言葉と考えます。一年で五書、四福音書を通読します。 朗読してみて、わかりにくい部分は、あとで資料などで調べます。
聖書の他の部分は、イスラエル民族の歴史、詩文学、預言書、イエス・キリストの弟子たちによる言行録、イエスの教えの解釈録、イエスの再臨の預言書から成ります。